大井上 康(おおいのうえ やすし)
国会議事録
米、麦、甘藷、馬鈴薯、その他一切のものを大よそ見積りましても、本年は千五百億くらいの価額になるでしよう。
しからば、これらの増産指導費に一割を費しましても、百五十億くらいは当然計上すべきだと考えております。
しかるに、今まで明治、大正、昭和を通じて、耕地改良費はわずか十一億円、戰爭中に十一億円、なお最近において二十億や三十億の金を計上して、これで食糧増産の解決をしようなんということは、まつたく愚の骨頂だと私は思う。
どうかこれらの経費につきましては、農林大臣は大蔵当局と一騎討ちをしてでも、国家の大半の経費をこれに振り向けるように願いたいと思う。
絶対量確保について自信をもたれているかどうか、これについて、ひとつ農林大臣から御指示を賜わりたいと思います。
次に、食糧問題の解決は、全国農民の食糧増産意欲を高揚し、一大運動を展開いたしまして、他面におきましては、消費規正を高め、食生活の一大改善をしなければならぬと存じます。
商工業者というものは、これは利害によつていわゆる調整をする。
利益があれば余計つくる。
なければやらぬ。
しかし百姓には調整はできない。
二千六百年この方、百姓が調整をしたためしはない。
盆がくれば田植をする、秋がくれば麦をまく。
まつたく黙々として、国家国民の食糧のために、農村民は何ら不平も言わずに今日まで来ておる。
私は、国家国民が、生産者も消費者も、今までの農民のこの魂、この精神を高揚し、発揚していくならば、必ず食糧問題の解決はできるであろうと確信しておるものであります。
かかるゆえに、農民の精神は、決して一人たりとも、利害によつて調整等を考えているものはなかつたということは事実であります。
緊急対策といたしましては、種々なる計画を政府においても立てられておりまして、平野農相は、縁故米とか、最近においては救援米の供出等に、いろいろと運動をされておりますが、何といたしましても、政府は農民に対するところの公約があるにもかかわらず、空手形同様でありまして、計画の数字は公表いたしましても、実行については、その数量の減少、時期の遅延を平気でやつておるのでありまして、今回のごとく食糧危機を招来いたしまして、初めて農民に救援米を頼むというようなことでは、政府の信頼はますます失墜するばかりであります。
政府は常に公約、責任を重んずる決意の少いものといわねばならぬと存じます。
その一例は、昨年来の米・麦、あるいは甘藷・馬鈴薯・繭供出等に対する報奬物資でありますが、これらが非常に減つている。
なおまた時期が遅れているという点についても、農民は非常に不満をもつております。また昨年の稲作の肥料、あるいは本年の肥料、これらも、本年は五貫目を公約しておきながら、まだ半分も農家の手に渡つておらないという現状でありまして、まことに農家は憤慨その極に達しているのであります。
稲作の肥料は、八月上旬に配給されなかつたならば、決して米の増産はできません。
必ずや減收することは、火を見るよりも明らかであります。
二十二年度の麦の肥料も、減配とその時期を失つたために、非常に收量の減を來しております。
政府は万難を排しまして、稲作肥料だけは、公約通り全部これを農家の手もとまで、八月上旬までに配給するように、格段の努力を要望する次第であります。
これによつて農民の増産意欲を高揚し、ひいては早場米の供出も完全に行わるることとなるのであります。
今回政府は、救援米の供出を各府県に対して呼びかけておりまするが、各府県で努力をいたしましても、供出した米を全部政府で買い上げるということは当然のことでありますけれども、これらに対して、各府県の努力を政府が買つてやる。
そうして報奨物資なり、その他肥料、いろいろ特別な温かい親心を政府が示してやるということにいたしたいと思いまするが、これらについて農林大臣はどんな考えをもたれておるか、これも私はひとつ承つておきたいと存じます。
最近の事情が、生産県と消費県、これらが鎖県主義をとりまして、そうして、ときには物交をやるというようなこともあり、あるいは聞き及ぶところによりますと、国といたしましても、これらの物交その他について、寛に行われておるという点は、今後これを相当嚴にやらなければ、食糧の横流しというようなことになる憂いも多々あろうと存じます。
なおまた、これら食糧が生産縣と消費県によつて偏在するというようなことも防ぎたいと存ずるのであります。
今回政府は、食糧危機突破のために、各府県の食糧自給のために、県並びに市町村食糧対策委員会を開催いたしまして、食糧の危機突破の趣旨を明らかにいたしまして、農家に呼びかけて救援米を出してくれと言つておりまするが、政府が公約いたしました肥料、農機具あるいは作業衣等、政府が公表した通りに、これらについていろいろと配給の約束を守らないために、ますます政府の信頼を失つておるのであります。
政府の計画する数量を、救援米といたしましても、これを供出するには、実に私は一大困難が伴うと考えております。
また供出いたしましても、農家には特別の報奬物資をやると言うが、これについては、必ず公約を実行することが、政府のとるべき最大の責任と考える次第であります。
食糧問題の根本解決策といたしましては、何といたしましても、わが国の現状では絶対量不足はやむを得ない現状でありまするが、科学技術を動員いたしまして、国家におきまして、食糧増産に信頼ある――いわゆる政府、農林当局がこれら技術官をうまく採用いたしまして、食糧増産熱を上げたいと存じます。
これらについては、食糧増産同志会、栄養週期の理論というようなものについて研究をいたしたいと存じます。
また食糧の緊急対策計画といたしましては、運輸の面をうまくやるということも必要になつてまいります。
なおまた、わが国の自給自足の恒久的施設といたしましては、百姓をしばらく六割くらいにしてしまう。
そして北海道百万町歩、内地五十万町歩を開拓いたしまして、百五十万町歩――政府の計画もあるけれども、これらを急速に解決しなかつたならば、わが国の自給自足はできないと存じます。
何といたしましても、われわれはこれらを解決することによつて、一千数百万石の増收は必ずできると信ずるが、これは断固として政府がやるかやらぬか、生産者の諸君がこれをやるかやらぬか、この意気と熱にかかつていると私は存じます。
以上申し上げまして、私は終りといたします。
第1回 衆議院-農林委員会-38号 昭和22(1947)年10月22日
昭和二十二年十月二十二日(水曜日) 午後一時四十九分開議
▼出席委員
委員長 野溝勝君
▼出席国務大臣
農林大臣 平野力三君
▼出席政府委員
農林政務次官 井上良次君
▼委員外の出席者
議員 千賀康治君
▼本日の会議に付した事件
二一 農作物の栄養週期栽培法の普及実施に關する請願外二件(野溝勝君紹介)(第三〇五号)
二二 農作物の栄養週期栽培法の普及実施に關する請願外三件(野溝勝君紹介)(第四七〇号)
▼千賀康治君(元衆議院議員、愛知県会議員、岡崎市会議員 )
ただいま野溝委員長から私にというお話でございまするので、まことにこのさい私光栄に感じて御説明いたします。
私自身がこの栄養週期農法の体験者でございまして、この体験の概略は前回本席において、皆様の前に報告をさしていただいたところでございまするので、この点はあまり言葉を重ねることを避けます。
この栄養週期農法たるものが世間に認められてまいりまして、ことしの夏でございましたが、かの小石川の護国寺等に夏期講習会を開いたのでございます。
全国から集まりました青年の数は実に二千に上り、あの護国寺の七堂伽藍の大建築を埋めつくしてまだ足らずに、隣の某裁縫女学校の建築をことごとく埋めつして、三日間この道を学ぶ者で、この家々は占領せられたほどであつたのでございます。
われわれ政党人がときどき大会を開きまして、地方から党員を集めましても、なかなかこんなふうに集まるものではございません。
数十万の経費を投じましても、なおかつこれに及ばざるところ遠いのでございます。
向う弁当でこうして道を求める青年が東京に蝟集してまいるということは、いかに栄養週期農法なるものが、最近世の中の人に理解を受けてきたかという証左であることは申すまでもありません。
栄養週期農法なるものが、一介のいかさま農学者において唱されたとするならば、こんなに大民衆が動員されるはずがないのでございます。
ここにまず私どもは栄養週期の確かなる農法であるということを提唱いたす者としてまことにこれは強い心の糧といたすのでございます。
しかして最近東京の新聞記者團が、埼玉県の神流村に出張されまして、この栄養週期の全村あげての挺身状況を視察されました。
そこの報告を見ますると、これは読売新聞に載せられておりまするが、第一面を埋めつくしまして「一目でわかる健康な稲」」とか「「麦も四割の増収、肥料は配給で十分、いも類、トマト等に效果著しい」等々まことに頼しい文字がそこに竝べられて、たくさんな記事が埋められております。
これなども新聞記者諸君が、村落における実施の状況を見られまして、心からなる賛意を表されておる一つの現れでございます。
かようにいたしまして、私どもはこの栄養週期農法なるものが、今日におきましてはもう疑問の余地はないと思うのでございます。
しかしながら過去におきまする政府筋のこの農法に対しまする態度というものは、まことに冷酷そのものとも言うべきもので、私はかつて愛知県の県会議員をしておりましたときに、県の農事試験場にこれを試験することを、むりやりに取上げさせたのでございます。
愛知県の農事試験場は安城にございまするが、これは政府の西ヶ原試験場の最も柱石というような、大事な子分筋の試験場でございまするけれども、この安城におきまする結果の報告というものは、実に奇快極まるものでありまして、単にそこでは大井上式農法は西ヶ原の指導農法の八割の収穫にしかすぎないものだ。こういうことを断定をされたのでございます。
この八割という数字がどこから出ておるのか、実にこれは怪しむべきものでありまして、私どもの体験からいたしましても、さようなことは絶対にない。
こうした気持ちで官僚から、この大井上式栄養週期農法というものは、常に冷遇を受けてきたのでございます。
ところが皆様にぜひここでわかつていただきたいことは、農村の青年諸君がこの農法に一たび親しみまするや、ほんとうに心からなる農業者になつてくることであります。
小理学者であり、小生物学者であり、小植物生理学者であるというふうに、農村の青年がずんずんとこの学問の深遠なところに興味をもちまして、ことごとく小科学者の態度になつてまいります。
そうしてこの新しい農法と自分の生活がにぎわされ、その生活と直結いたしましたところに興味と希望をつなぎまして、ほんとうに農村が生き生きとよみがえつてくることであります。
今日農村の文化とか何とか言つておりますが、これは淺薄な思想から言いますと、コンクールでがあがあと騒いでみたり、あるいは盆踊りをやつてみるとか、芝居のまねをやつてみるとか、こういうものが農村文化というふうに曲つて考えられておりますけれども、私に言わせますれば、この大井上式などに親しみまして、ほんとうに農村の青年の一人一人が小科学者であり、小植物学者となつて、ほんとうにこの学問に精魂を打ちこみ、植物の成育を科学的に檢討いたしまして、育つていくのを樂しむということになりますれば、これこそほんとうにわれわれのねらうところの農村文化の向上でありまして、こういうことに没頭すれば、盆踊りであるとか芝居とかいうものに関心がなくなる。
これが今までの農村よりも、ほんとうに世界の水準に近づくと申しますか、あるいは世界の水準を一歩出るという農村の進み方、いき方がここにあると考えております。
こういう農法が現在ありまして、しかもこれを採用しておる村は、どこでも供出を完納しております。
供出ぐらいへでもないといつてけとばしておるぐらいであります。
こういうものがあるのに、わざわざ目をつぶつて、大井上式は在来の農法の八割であるとか九割であるとか、こういうことを言つてむりに斥けておく必要はないのである。
政府はぜひともこれを取上げて、国の奨励農法の中に加えられていただきたいということと、なおまだ疑いがあれば、私どもは今までの学者の態度は非難すべきところがあるといつておりますから、衆議院の皆様もぜひこの試験のメンバーにはいつていただきまして、いま一回正当な民主的な調査研究をやつていただきたい。
ぜひこれをお願いするということと、もしもその調査研究において、OKという及第点がつきましたならば、ぜひともこれは国策の奨励農法に入れて、大いに農村青年があの護国寺で気勢をあげた、あの数千の農村青年の運動が、新日本の農業の創設の第一歩であり得るようにお願いいたしたいと思うのでございます。
これは私の概略の説明でありますが、要はいま一回民主的な調査機関を設けて、これを取上げて調査していただき、それがよかつたら奨励の方に取入れていただきたい、こういうことでございます。
どうかそれぞれおくみとりくださいまして、ぜひご採択のほどをお願い申し上げます。
▼野溝委員長
政府の説明を求めます。
▼井上政府委員
ただいま紹介されました農作物栄養週期栽培法の普及実施に関する請願でございますが、本法は大井上康氏の提唱にかかるものでございますが、この施法に対する政府の意見といたしましては、肥料は直接作物に吸収されるのではなくして、土壤に施した後に土壤中で種々な変化を經て作物に吸収利用されることを閑却しておる点があるのではないかと思われる節があります。
その次には移植して五日ないし十日後に硫安を施すことになつているが、この時期に窒素肥料を施せば脱窒作用を受けて大部分は損失する結果となります。
第三は水稲に対する燐酸欠乏は生育の初期に起るから、元肥とした場合は效果が現れるが、しかし追肥の場合は、生育後後期において土壤中の加給燐酸が有効化するため、追肥の效果は少いと考えられます。
消石灰は窒素の過剰を防ぐ目的で施すことになつているが、土壤学から見れば、消石灰の施用により土壤中の窒素は有效化すると考えられます。
第五に窒素肥料の補肥は稻作に有害であるとしているが、従来の補肥に関する幾多の試験成績とも異つております。
以上のように理論的に、また従来の試験成績からも、本説はそのまま認めることはできない。
なお本法と標準と施法に関し六県の地方農事試験場で比較試験をした結果によれば、標準施法玄米収穫量を一〇〇としたとき八一%九四%となつており、平均いたしまして八八%となつているのでありまして、なおまたこの施法については最近関東のある地域におきまして、連合国軍司令部の方の立会のもとで現実實に試験成績をやつておりますが、まだ的確に政府としてこれならば確信をもて農家に推奬できるという域に達していないことを非常に殘念に思いますが、なお一層試試験を重ぬて、これが農家に推奨に値するものならば、一日も速かにそういう方途を講ずるように進めたいと考えます。
▼千賀康治君
だいたいご答弁は予期いたしておつたのでございますが、そこに石灰の用途は窒素を意味するのだということが結局書いてありますけれども、これが私どもは全然承服できないのであります。
たとえば芋の生育の末期に石灰を給しますと、あなたのただいまの御所説によりますと、窒素でありますから硫酸アンモニヤか人糞尿をやつたと同じ結果になる筈でございますが、芋の生育の末期に人糞尿あるいは硫酸アンモニヤを加給しますれば、芋はやわらかくなり、また芋の形は長くなり、腐取し易くなり、黒斑病等が出易くなるとい芋ができて、味はうまくない。
こういう芋ができるのでありますが、ここで石灰を加給しますと、芋の形は丸くなり、堅くなり、澱粉は緻密になり、甘さが甘くなる。
全然違うのであります。
結果において、かような大きな違いができるのに、いまだに石灰をやることは窒素をやることになるのだというような断定でございますが、これ一つでも私どもは今の学者の観念による推論は承服しがたいので、ぜひともこれは民主的に、私どもがかく言つているのであつて、全国の農村のほとんどがとり上げてまいつている当農法でございますから、ぜひともこだわらずに民主的に試験をやつていただきたい。
これにはわれわれも加えていただいて、殊にこれを提唱している大井上側の方からも代表者を出さして、試験をやつて、よかつたらぜひともこれをとり上げていただきたい、こういうことでございます。
▼野溝委員長
なお紹介議員の私からも、簡単に申上げておきます。
千賀議員から詳細に述べられているので、要は尽きておりますが、どうも政府の考え方は固定化しているのじやないかと思います。
それを採用し、またはその技術を取り入れて相当成績をあげているというこの現實を、ただ一片の固定化した技術論だけで推論するということに對しては、これは相当考えてもらはなければならんと思う。
この際政府におかれては、襟度と見解を広めるために、一応大井上式栽培技術に對して真剣に研究し、そうして農民の期待に副い、かつ政府の意図している食糧増産に積極的に協力するという態勢をとつてもらいたいと思う。
この点に対して特に政府に希望を述べておきます。(拍手)
▼井上政府委員
この栄養週期の問題は、かねて当委員会でも説明があり、また委員長も熱心にこの問題について検討を加えられているそうでありますが、政府においても決してこれを閑却しておりません。
さいぜんも説明をいたしました通り、連合国の科学者も加え、政府の方の農事試験場の優秀なる職員も加え、かつ食糧同志会の指導者も加え、また実際これを生育いたしまする耕作者も参加いたしまして、現実に水稲に對する試験を施しているのでありまして、従ってそれが確信をもつて科学的に明確な結論が出ぬ限りには、政府の責任において推奬するわけにはまいりません。
これは政治的な問題ではないので、現実に、科学的に、これならばいいという結論が出てまいりませんと、単に政治的な取引によつて、あるいはまた政治的な一つの政策によつて行うべきものではないので、あくまでも総合的な、科学的な具体的な結論が出てまいりませんというと、政府としては責任がもてないのでありますから、この点についてはあなたの御請願の趣旨を十分くみまして、氏間の有能な人々も参加してもらつて、かつまたわが国とは多少進歩しておりまする連合国の方も立会つてもらつて、また実際必要な地域に、必要なときに、これを検討を加えてまいることにやぶさかでないことだけは附加えておきます。
▼野溝委員長
千賀君、食糧増産の問題、食品関係等に對する問題等に関しましては、本委員会で調査することになつておりますので、いずれ近い機会にそれぞれ調査をすることにいたしておりますから、さよう御了承願いたいと思います。
第10回 衆議院-農林委員会-6号 昭和25(1950)年12月06日
昭和二十五年十二月六日(水曜日)午後一時三十八分開議
▼出席委員
委員長 千賀康治君
理事 井上良二君
▼参考人
大井上理農学研究所長 大井上康君
▼本日の会議に付した事件
食糧増産に関する農業技術改善について参考人
―――――――――――――
▼千賀委員長
それでは食糧問題に関する件を議題といたします。
▼千賀委員長
わが国の食糧需給事情は、戦後すでに四箇年を経た今日、ようやく安定の段階に入つて来たのでありますが、最近における世界情勢の変化は、輸入食糧に対する見通しも拱手傍観を許さない事態に立ち至りつつあるのであります。
翻つてわが国の農村状態を見ますと、ドツジラインの遂行以来窮迫の一途にありまして、国民の食糧を確保して国民生活の安定をはかりつつ、さらに農家経済の安定をはかり、農業の振興をはかる強力な施策を押し進める必要があるのであります。
その根本は農業生産力を高め、食糧の増産を中枢とする国家施策にあることはもちろんでありまして、われわれ農林委員会といたしましても、常に政府を鞭撻し、あるいは独立の立場から調査検討を加えているところであります。
しかしながら、他方動植物の生活作用を利用する農業の栽培、飼育技術そのものにつきましては、わが国の地理的條件による各地方の気候、土壤の相違に基きまして、いろいろ差違があることが当然考えられますので、各農家の創意くふうによる技術改善の余地が多分にあるのではないかと思います。
われわれはこのような見地から、本日農業に経験の深い方々の御出席を煩わしまして、食糧増産、生産力増強に関する農業技術改善についての御意見や御経験、あるいは種々研究されたところを発表願いまして、この農林委員会の調査の資料といたしますのみならず、広く農民諸君の参考にもしていただきたいと考える次第であります。
それではこれより順次に御意見を承ることにいたしますが、御説明の時間はお一人当り大体二十分ぐらいにしていただきまして、一応全部の御意見を承りました上で、参考人の方及び政府当局に対する委員の御質疑をお願いいたすことにいたします。
▼井上(良)委員
ちよつと議事進行について……。
ただいま委員長は、全部の人の意見を聽取した上で政府並びに参考人の意見を聽するという話ですけれども、全部ですととてもたいへんな人になりまして、とてもややつこしくなりますから、一人々々の場合に政府からの簡單なそれに対する意見を聽取するようにやつてもらいたい。
一人説明を求めて、それに対し政府はどう思つておるか、あるいは関係技術官はどう思つておるか、こういうふうにやつたらはつきりするから、さようとりはからつていただきたい。
▼千賀委員長
速記を始めてください。
それではあらかじめ予告申し上げた順序でお願いします。
大井上康君の御発言を願います。
▼大井上参考人
本日、当委員会から私に意見を言えという御命令で伺いました。
短かい時間で完全に御説明することは、ちよつとむずかしいと思いますが、きわめて簡潔に要点だけをお話しておきます。
〔委員長退席、松浦委員長代理着席〕
食糧増産がきわめて重要であることは、申すまでもございませんが、増産ということを考える場合に、二通りあると思います。
つまり、減産を引起しておるいろいろな事情がたくさんあると思います。
多くの場合、減産を引越す事情が外部の力で起きて、いわゆる気候の変化あるいは病虫害等によつて多くの被害を受ける。
これがマイナスになるということが主として考えられる。
そういう外部の力は、非常に大きな関係を持つのでありますから、これを人間の力で、皆無とまでは行かないまでも、ある程度軽減させることができれば、まず減産が防げる。
病虫害、風水害等による減産を技術的に多小とも改善することによつて、かなりの増産が期待できる。
消極的な意味の増産ができると考えております。
さらに人間の力を用いて技術的に反収力を上げるということも、これもある程度は不可能でないと思つております。
増産いたします技術にいろいろございますが、私どもの考えておりますのは、今申し上げましたように病虫害あるいは風水害、あるいは、天候の異変などによるところの減収、これをまず防ぐ、こういうふうに考えております。
それが防げるような道をたどれば、また積極的な増産も可能の道が開けるというふうに常に思つておるわけであります。
それをやりますのに大切なことは、植物を培養いたしまして十分な実りを得る、そうしてその途中におきまして、病虫害もしくはその他の障害による減産を防止するためには、その作物を、それに対してきわめて抵抗性を持つところの、しつかりしたものに発育させなければならぬ。
言葉をかえて申し上げますれば、健康に育てなければいかぬということになるのであります。
大体植物がよく実るという場合を考えますと、従来は植物体をできるだけ大きく育てる、そうしてその作物が大きく育つたということに伴つて起ると考えられるたくさんの実りを期待するわけなのであります。
言葉をかえて申し上げますと、稻でいえば、非常に大きな株にする、その株を固く育てて、そうしてそれにりつぱに実らせる、こうすればたくさんとれる、言いかえれば、肥しさえたくさんくれれば収量は従つてふえるものであるというような感じを、漠然とながら多くの者が抱いておると思う。
大体これがさつき申します病虫害に弱くなつたり、風水害をひどく受けたりする一つの動機になつている。
それから作物というものは、生長すべき時代には十分に育てなければなりませんが、それが最後に花が咲いて実る、あるいは実つた種実がよく充実してりつぱな穀物になる。
あるいはいも数で申し上げれば、りつぱないもがとれ、よく充実したものができる。
そうしてそれは十分いい品質のものであるということを持ち来すためには、そろつた作物がある一定の時期から失、からだが成熟しなければならぬ。
つまり植物体全体が成熟の状態に入らなければいかぬと言うのであります。
つまり最後までだらだらと大きく育てる行き方は誤りである。
これはここではあまり理論的なことには触れませんが、植物というものが育つて参りまして、つぼみができ、花が咲き、実るということのために必要な植物体内のいろいろな生理状態、あるいは生理科学的なあり方というものは、作物のからだがどんどん伸び、葉や茎やその他のものがどんどんできる、いわゆるからだの生長であります。
この生長がなければ、もちろん後の実りはありませんが、この生長するということと、花が咲いて実るということは、生理学的には、私どもの考えでは逆の立場にあると思つておる。
つまり成長と成熟ということは違つた内容を持つているものであります。
もし成熟すべき時期に成長を促すような処置をとりますと、必ず遅れできして不時の失敗を演ずる。
言いかえれば、二百十日前後には非常にみごとな收穫を約束しておるらしく見える作物が、多くの場合収穫のまぎわでそれがみじめな状態になる。
全国至るところでこれが見られる。私ども今年全国方々を歩きましたが、ちようど秋でありましたが、倒れていない田というものは非常に少い。
また病虫害の発生が非常に多いのであります。
これは私どもの立場から見ると、病気が出るようにつくつてあるとしか思えない。
しかるに従来の行き方は、多くの場合、育ちがまだとまらないと思われるような肥培方法が後期に行われていた。
私どもはこれを第一に避けろと言うのであります。
第二には、そうして育つたものが一定の収穫量を持つて来るためには、私どもの立場からは、そんなに大きなつくりをしてはいかぬというのであります。
私どもの方では、収穫を調べるときには、その収穫を生じたところの草の大きさ、いわゆるからだの分量、それからその収穫物との比をいつもとつております。
つまりいもで例をあげますと、千貫のつるで千貫とれるか、八百貫のつるで千貫とれるか、五百貫のつるで千貫とれるかということですが、そのときに、草が少くて収穫が多かつたときの方が、収量は同じであつても品質がよい。
またそういうつくりは病虫その他の途中の害を受けることも非常に少い。
ところが従来の行き方はそれと逆の場合が多い。
特に農民諸君は非常に肥しを使いたがる、窒素肥料というものを特にたくさん使いたがる。
そこで私どもはそういうつくりをする方法の一つとして、肥料をやるのにその分量と、その使用する時期とをきわめて注意しなければならぬ、こう申すのであります。
ただそれを注意しろでは、とうてい農民がやつて行けないのであります。
そこで私どもは、農民諸君にこれを指導する場合に、どうして作物はとれたりとれなかつたりするのか、なぜ風水害をひどく受けたり軽く受けたりするのか、どうして、病気がつく田もあれば、その隣にあつてつかない田もあるか、それは中ではどんな関係があるか、作物のからだの中の状態とそれの関係、そういう状態はどういうつくりで起つて来るかということをよく教えるわけであります。
これをのみ込みました農民諸君は、案外うまくやつておりまして、無難なつくりをしておる。
従つて私どもは大きな収穫を予想しておりません。
科学的に考えれば計画性を持つた肥培、つまり言いかえれば人間が予知できる要素を勘定に入れて、そうしてとり得る収量というものは、まず米ではせいぜい反当四石、大麦ではあるいは少し上になるかもしれません。
そういうふうに限界収量というものがある。
ときたまものすごい収量がある場合は、それは多くの場合天候に非常に恵まれまして、そういう非常に多肥の状態にあつても、それを食いきるだげのいわゆる日照りがあるというような場合には、こういうものすごく倒れそうなものが、倒れずに実るという場合もあるのであります。
大体十年間ならば十年間のものを観察してみますと、そういう方法では失敗のチヤンスの方が多くなり、成功の可能性の方が薄くなる。
それではいつも不安定で、科学的な意味での増収方法ということにならぬ。そこで私どもは科学的な増収方法を考える方途といたしまして、植物の発育の時期に応じて、その時期に必要な植物の状態を持つて来なければいかぬ、こういうふうに主張いたします。
従つてそれに対しまするわれわれの技術手段というものは、今までのもろもろのやり方と大分趣を違えております。
たとえばできたもの汐観察いたしました場合に、私どものつくりでやつたものは、いつも低収を予想される型に見える。それは色はあまり青々してはおりませんし、分けつ数もあまり多くないし、背たけも低い。
従つて今まで大株ならばたくさんとれると考える方から見れば、これは少い収量だろうと予想せられる。
まずこれは五俵かな、大俵かなということが思われる。ただ刈りとつて調製しますと、それが意外にも七俵あつたとか八俵あつたとかいうことになる、私どもはこう考えております。
日本の食糧問題に寄興する技術というものは、法外な収量や偶然的な要素を含んだものではいかぬ。
予想されるだけの材料で、大体われわれの技術が導き得られるような、そういう作柄にしなければいかぬ。
従つてそういうやり方は莫大な収量にはならぬ。しかし平均した収量が上る。
私どもは一つの村で二、三の有名なつくりをするような人を養成するよりも、村一般に半俵でも一俵でも必ずよけいとれるという方法を教えなければならぬ。
〔松浦委員長代理退席、委員長着席〕
そうしてそれが十人やれば十人でき、百人やれば百人行くというような方法でやらなければならぬ。
しかも労力の点において、どこかで十分余裕の出るような方法でやらなければいかぬ。
いわゆる終日田の中をかけずりまわつて、そうして辛うじてあるところに到達するかもしれないような方法でなく、普通の労力をはらつて、だれにでも、どこでもできるような、普遍的な方法でなければならぬ。
それには今申し上げたように、最適な気候を予想したときのつくり方ではなくて、きわめて普通ありふれた気候のものにおいてできるような、そういつたつくりにしなければならぬ、こういうふうに考えております。
従つて肥料もあまりやるとかえつて悪い。
ことに窒素肥料が過ぎた場合にはみじめな結果を引起す。
窒素の使用量は、日本は世界でも実にものすごい分量を使つておる。
これは気候の関係から考えればなお一層あぶない。
こういうようなときにたくさんの窒素肥料を使いまして、病気の抵抗性をなくし、風水害に弱くし、そうしてむやみに手のかかる、いわゆる丹精秘術をつくさなければとれないような行き方ではおもしろくない。
簡単にだれでもやれる――たいへん悪い言葉であるかもしれませんが、惰農を引上げる方法、収地帯を引上げる方法、収農家に安定した増産を与える方法が刻下の急務ではないか。
地方におりまして、今日までの指導の方法その他いろいろのやり方を見ますと、やはりそこに私どもから考えますと、どうも少しあぶないというようなことがたくさんある。
これが一向減らない。
毎年々々しいなの山を築き、青枯れをつくり、倒穂させ、あるいは稲熱病を発生させ、場合によつては集団発生させております。
そうして薬剤散布に狂奔しなければならぬ。私考えておりますが病気というものは病気を起すものと起されるものとの存在だけでは起らない。
またそれを起させるような環境、条件がそろつただけでも起らない。
それはかかる方の側に病気になるという一つの受入れ条件がなければ起らぬ。
たとえばここで皆さん方にコレラ菌をある分量差上げましても、全部の方がコレラに発病されることはない。
健康のまま保菌される方もあり、若干発病される方もあり、ないしは死ぬ人もできると思う。
これは皆さん方のからだの中における抵抗の問題です。
この抵抗ということは非常に大きな問題で、これは栽培技術においてかなり大きく左右できることを私どもは知つておる。
こういう立場からも栽培技術というものは考えなければならぬ。
そういう意味で私ともは肥料を節約して――その節約というのは、何も肥料代を少くするという意味ではなくて、危険な状態をかえつてつくらない方法として、今使つておる肥料よりはもつと少い窒素肥料で、もつと収穫を上げ得ると私どもは信じてもおりますし、事実それを目撃して参りました。
こういうような行き方を考えておる。
それには肥料をどうするか、あるいは植えつける場合にどういう植えつけ方をするか。
農民諸君というものは何と申しますか、つくりという上からは非常に敏感なんです。
ある方は栄養週期はよいかもしれないが、非常にむずかしくて、とても百姓にはやれぬという批評がある。
ところが私どもが指導してみると、なかなかよくみんなわかる。
作物というものはどうして育つて行くか、どういう条件でどんなに育つか、育ちというものは何で起るか、どういうわけでそうなるか、いろいろなことを説明してやりますと、非常に勉強する気持が起る、熱心になる、なかなかよくわかる。
というのは長い体験を持つております。
そこで私どもの話が理解されるわけです。
ただこれが実績を上げるのに非常に困難を伴つております。
それはなぜかというと、さつきから申しましたような、肥料さえやればとれる、でつかくつくれ、どんどん繁茂させろ、倒れるほどにつくらなければどれぬぞという気持が抜けない。
そのためにいつも私どもが言うよりもでき過ぎの状態に持つて来ようとする。
それが失敗の大きな原因であります。
ですから私どもがここ三十年間ほど、多数の人間にいろいろさせてみましたけれども、しくじつたという人を拾えば必ずみなそうです。
つまりつくり過ぎ、でき過ぎであります。
肥しが足りなかつたからできなかつたという例は非常にまれなんです。
つまり言いかえれば、現在の農業で窒素肥料は必要以上にくれておるということになると思うのです。
もちろん作物の種類や場所によりましては、不足によつて収量の減つておるところもないとは言えない。
こういう点において、作物というものは、発育の時期時期で生理的な内部条件が違うのです。
違わなければならない。
また事実違つております。
それに応ずるような外部条件を与えることによつて、むだのない成長をさせる。
そうして秋はきれいな実りをさせなければいかぬ。
大体さつき申しますように、九月の初旬ごろまではものすごいできを見せて、これでは五石あろうか六石あろうかという予想が、收穫のときにこれが二石五斗とか三石というところに下つて来るのは、必ずこういうところに失敗がある。
それにはどうすればよいかということを教えるのが栄養週期のやり方です。
反対側の人には、私どもの栄養週期の栽培の基本的な考え方ではなくて、その中間に行われます一つの技術操作、たとえば施肥であるとか、あるいは施肥の種類であるとか、そういうことについてのみの批判がありまして、全体を通じての批判が十分ないと思います。
そういうようなほんとうの学的な意味における批判は、私どもは最も歓迎するところであり、また最も謹聴して、これを自分たちの反省の資にしなければならぬと思うのであります。
どうも今まではそういう面が割合に少くて、たとえば燐酸の問題、石灰の問題、あるいは私どもは無肥料出発と言つておりますが、元肥に窒素肥料の速効性のものをやらない方法をとつております。
そういうものに対する、何と申しますか、無意味なものであるという即断が非常に多かつたと思います。
あるいはさつき申し上げましたように、いい方法かもしれぬが、とてもむずかしくてやれぬというような批判もある。
いろいろな批判もありますが、とにかく技術というものは、われわれが目的とするある収量を得るために、そういう収量を得るような育ち方に作物を導かなければいけない。われわれはやつておりますと、一つの形態的な特徴から、その内部の状態が大体判断できます。
ある時期の判断はその次にどうなるか、こういう色とかたさで次にどうなるというような判断がつくわけであります。
その判断を農民に教えるわけであります。
そしてそれに対処する方法、ですから栄養週期というのは、何月何日に種をまいて、何ぼ植えて、そして何をいつ何日に何貫くれるというようなことは絶対に教えておりません。
これを教えることがあぶない。
今まではすぐ三回除草をしろ、五面除草をしろ、何寸に掘れということを教えますが、私どもはこの深耕については人さまと少し違つた意見を持つている。
それは、そういうことがなぜという学問上の問題、その他はここで一々申し上げるだけの時間がありませんから省きます。
私どもの書いたものもございますから、よくお読みいただいて御実験願いたいと思うのであります。
要するに今までの行き方の批判というようなものから私どものやり方が生れたのであります。
なぜ私がさようなことを申し上げるかといいますと、私も若いときには、同じように学校教育によつて農学をたたき込まれました。
しかし私は幼少のころから作物が好きで、動植物をしじゆういじつて暮しておりましたが、どうも何かしら割り切れぬものを感じました。
たまたまヨーロッパ留学から帰りまして、農場を持つて栽培を始めた。
そのときの気持は、試験研究を主体に、いろいろ学問上の研究をしようという気持でありました。
同時に私どもは富の背景を持つておりませんから、私どもの農場が赤字を出したのではやりきれぬ。
何とか農場から少くとも自給自足的の生産を上げなければならぬという立場におりました。
従つて少しでもいいものがたくさんとれるということは、私の身に迫つた問題であつた。
さてそういうことをやるためには、農学の知識を持つているから、これをほんとうに徹底的に応用したならば、すごいものがとれるだろうという自負心にかられて、実は栽培して行きました。
あにはからんやわれわれの学問上の知識が、決して具体的に、実際に収量増加になつて来ない。
ある場合には百姓に笑われたことが何べんあるかわかりません。
それまでは、農民というものは無知なものだというので、われわれはてんで彼らの言うことを問題にしなかつたし、またそつぽを向いていたわけです。
ところが実際の問題で私たちが彼らに負けたことから考えれば、これは自分たちの学問にある批判を与えなければならないということから始まつたのと、それからあとは、あらゆることを何でも経験することが必要であるという立場から、いろいろなことをやつて来た。
たとえば私どもがある時期に石灰をくれますが、どうしてそこに気がついたかという問題のごときは偶然であります。
これは世界にも例がたくさんある。
ペニシリンの発見のときも偶然です。
だれも青かびがああいうものを分泌するとは考えない。
それは化学的にこういう構造だ、従つて肺炎菌にこういう作用があるはずだという予想のもとにやつたのではなくて、これはほんとうにフレミングの過失であつた。
ふたをするのを忘れて雑菌が入つた。
それが観察の元になつてペニシリンが生れた。
従つて学問というものは、必ずしも最初自分たちの持つておる理論の基礎に立ててばかりで行くへきではなくて、ことに技術の面に入りました場合には、あらゆることを経験し、あらゆることをやつてみる。
そういうことから何かまた新しいものができるという立場を堅持するようになつた。そんな関係で、私どもは机の上の思いつきではございません。
長い間自分が栽培技術がまずかつたということから、人並の栽培技術を得ようとするごとから始まつたのです。
そうしてやつてみたら、こういうふうにすれば安定がとれる、品物もよい。
戦争前は私どものところの生産物を東京会館、帝国ホテルに特約いたしまして、生産量が少い割合に高く売れたのは、私の所の生産品が物がよかつたということなんです。
これでどうやら私どもの研究所の維持ができたわけです。
それでこれをいろいろなものに応用して行つたらどうかというようなことから始まりました。
私はかねがね園芸の方から行つたわけでございますから、米麦なんというものはあまり考えたことはなかつた。
ただ私は、自分の生活のために必要なものは自給しようと思つて、米もつくりました。
ところがみごとにとつてみせようと思つたのが、なかなかうまく行かないで、お百姓さんに笑われた。
そういう経験がだんだん私どもを考えさせて来た。
要するに技術というものは一つの手段の体系なんだ。決して一つの手段がきめるものではない。
たとえばホルモンばかりつけるとか、何かしたりするということから来るのではなくて、植物が育つ問において行われるところのいろいろな手段がつなぎ合わさつて、一つの体系をつくつて、一つの型に持つて来る。
それがいわゆる私どもがよくとれる条件に合うような育ちに導けばとれるのです。
▼千賀委員長
どうか結論に入つてください。
▼大井上参考人
こんなようなことでありまして、私の考えておる栄養週期という理論をこまかく申し上げることはできないのでありますが、こうやつて行けば、病虫害その他による損害を、年々しておるのを少くとも防ぐことができる。
現にわれわれの会員はこれを防いで、またこの事実については、後ほど実際の体験者からお話してくださることと思います。
それからお互いに農家の支出を減らすことができる。
つまらぬ労力を省ける。
そこで農村に文化を持ち来すためには、私は今日のような状態ではいけない。
要するに農民に経済上並びに肉体上、精神上の余裕を與えて、ただもう汗と土にまみれるような点だけで行くのではなく、今までの手筋の農業を頭脳の農業にかえろ、こういうふうにして農民を指導、激励しております。
どうぞ委員の方々もよく御研究願いまして、一日も早く日本に食糧自給の道が開かれますように、切に希望してやまない次第であります。
▼千賀委員長
次は米原哲治君の発言をお願いいたします。
▼米原参考人
私は新潟の米原と申すものでございます。
せつかく御招聘を受けましたので、少しばかり私の意見を申し上げたいと思います。
私は大井上さんの栽培法に対して全幅の共鳴をしてやつておるものでございます。
従つて大井上さんの今お述べになつたことと同じことを言うのでありますから、二重になる点を省きます。
私の今考えておりますことは、いろいろりつぱな農法がありましても、それ司普及する場合において、そのやり方がうまく打かないと徹底をしないのであります。
私の今まで考えておることは、ただ形だけで行くというのでなしに、自分たちのやるところの作業はなぜやらなければならないか、どうすれば一番よろしいのであるかということを、はつきりと農家に知らせて、それを徹底させて行くというようなことがきわめて大切だと思うのであります。
そういう点から言いまして、大井上先生の栽培法は非常に科学的で、今私どもの農村におる青年が非常に共鳴をいたしまして、栄養週期をやり出してから、非常に生きがいを感じて来たと言つております。
それは今まで農村では、ただ先祖代々から一つの型を示された通りやつておつた。
ただ除草は何回、中耕は何回というような、一つの型をそのままやつて参りますといろいろ失敗がある。
天候の変化でありますとか、いろいろな環境の変化に応じて、それに適合させて行くことが、きわめて私は大切だと思うのであります。
そういう点からいいまして、生理生態に重きを置いて、各国の作物の最もたくさんとれた状態はどういうような状態であるか、その最もたくさんとれた作物の姿へ、農民の経験をもつて導いて行く、これがきわめて大切であると信じておるのであります。
栄養週期をやり出しましてから、すべて私どもの方でやつております農民は、作物の姿をながめ、理想の姿を考えて、その姿へいろいろな操作を施して持つて行く、こういうようにやつておるのであります。
でありますから、反当りにどれだけの肥しをくれろとか、どれだけの作業をしろとかいうようなことは、大体において見当をつけておかねばなりませんけれども、実際の場合においては、そこには種々臨機応変の操作がとられなければならないと思うのであります。
一昨年の稲作は、私どもの方におきましてはめつたにない非常な増収であつたのであります。
ところがその場合には非常に多肥をやつたものが成績が悪かつた。
多肥をやらないものが成績がよかつた。
そういうような成績のよかつたときの実りの姿はどういうような状態であつたかということを考えてみますと、稲は黄金の実りと申しますように、非常に黄金色に実りまして、しみのない非常にあざやかな実りに入つておるというのであります。
北陸は今年は非常に雨降りでありまして、下作であつたのでありますが、そういう場合には、やはりそういう実りに入つたものが非常に収量が多いというのであります。
私なども二百十日ごろの実りのときには、これはすばらしく收量があるだろうと考えておつたのですが、私の考えております甲の上というできはほとんどつぶれ、非常に菌核病が発生して、見るも無残な状態になつておるのであります。
かえつて少し小できだという状態のものがむしろ実落ちが少くて、収量が案外に多かつた。
私どもの方は、二号落ちとかいうような非常な不作を予想しておりましたが、そういう場合に多肥をやつて倒伏した人を除きましては、栄養週期栽培の――その中には優秀でない人もありますが、その中の優秀な諸君ははるかに普通の人よりも増収を見ておるのであります。
こういうような点を考えまして、私どもは常に作物というものは理想の姿を想定する、最も美しい作物としての実のりの状態を想定する、さらにこまかく言えば、苗の時代にはどういう姿が最も理想的な姿であるかということを想定しまして、そして肥しのやり方でも作業のやり方でも、すべて理想の姿に持つて行く方向に行かなければならない。
そのためには結局最もたくさんとれたもの、いいものをよく見て知つておる必要があると思います。
私はそういう点におきまして、栄養週期栽培はすばらしい農法であるとかたく信じておるのであります。
大井上さんか先ほど申されましたので、私はこの辺で終ります。
▼野原委員長代理
食糧増産あるいは農業技術改善についての参考人各位からの御意見の開陳は一応終りました。
なお参考人諸君に対しての御質問等ございましたら、この際お願いしたいと思います。
なお政府側の意見を聞きたいというようなお話もあつたと思いますので、もしございましたらこの際お願いいたします。
▼井上(良)委員
今までそれぞれ各方面の方から尊い御意見の発表をされたのでありますが、農林省も国費を使つてそれぞれ試験研究をやられているのですが、民間の試験研究と農林省が現在やつております試験研究との上で、これらがどういう程度に実際わが国の農業に採用できるのか、また実際その効果があるものかということについて、一応意見を聞かしてもらつたら非常にいいと思います。
私自身技術者でありませんけれども、感づきましたのは、なかなか合理的にそれぞれやられ、納得できるような説明がされております。
ただこれは日本のように土地条件が異なり、かつまた天候条件がことごとく異なる所で、この条件が全国の各地に單一に適用できるということのためには、どなたかからもお話になりましたように、やはりその土地条件をよく勘案し、天候と環境というものの変化をどう農法に取入れて来るかということが、一番重大なポイントではないかと私は考えます。
そういう点について、技術者としてどういうお考えを持たれているか、一応お話をいただきたいと思います。
▼野原委員長代理
ただいま井土君からの御意見でありますので、農林省側からどななたか御答弁願います。
▼小倉説明員
ただいまの御質問でございますが、私どもの試験研究並びに普及に対する考え方といたしましては、試験研究につきましては、大体全国の標準的な農法というようなものを中心としてやつております関係上、一応地方の地域的な、実際的な農法につきましては、地域試験場なり、あるいはさらに地方の試験場なりにおいて消化いたしまして、そこで最も妥当な農法を確定いたしまして普及するというようなことになつております。
ただいま参考人の方々から非常に有益な御意見を承りまして、たとえば水温を高めるというようなこととか、あるいは健苗を育成するというようなこととか、あるいは無効分蘖を防ぐというようなことか、あるいはまた作物をつくるには根本的に土をつくらなければならぬとか、あるいはさらに人をつくるのが根本であるとか、いろいろごもつともな御意見を承つたのでありますけれども、さようなな点はわれわれとしてもはなはだ妥当なことかと考えているのであります。
全体の農法といたしまして、ここでこういう農法が一体どこのどういう地方に適応するかというようなことにつきましては、問題がはなはだむずかしく、またここで一々お述べする機会はないかもしれませんけれども、場合によりましては、私どもの方の專門の技術官もこちらに来ておりますから、その方からまた御説明を申し上げたらよいと思います。
なお大井上さんのおつしやいましたように、私どもの試験研究も必ずしも万全ではないので、非常に異論があろうと思います。
その点については、過去においてはいろいろ欠けるところがあつたと思いますが、種々検討をいたしまして、お互いの意見を交換し合い、お互いに納得し合う、またできれば試験などもいたしまして、日本の農業の発達のために貢献いたしたい、かような考え方をいたしている次第であります。
▼幡谷委員
ちよつとお尋ねいたします。
先ほどいろいろと御意見を拝聴しましたが、いずれも総合してみますと、技術によつて増産をする、こういうことに拝聴いたしましたが、私はこういうことを考えているのです。
おおむね生物は食い物によつて左右される。
ことに無知の草木はことさら食糧に左右されるのではないか。
そう考えてみると肥料、すなわち作物の食糧ですが、これがはたして完全なものであるか、あるいは幾多の肥料の中でどれが主食であつて、どれが副食であるか、こういう問題が先に解決されて、理想的な増産ができるのではないかというように考えているのですが、諸先生の研究の一端を拝聴できればまことに好都合と存じます。
▼大井上参考人
それは非常に重要な養分であると考えます。
また重要であるということよりも、たくさん要るものと少しあれば足りるものもあります。
大体普通には窒素とか、燐酸とか、カリとか、石灰とか、マグネシュームというものが比較的たくさん要る。
あとの方はそれに比べてずつと少い。
非常に少いものなどはちよつとあればよい。
人聞で言えばビタミンなどで、ちよつとあれば足りる。
そういうようにいろいろあるわけで、そういう特殊なものが足りないために健康を害する場合もございますし、またその成分の割合がいろいろかわつて参りますと、また健康が違つて参ります。
ですからやはりそういうことに注意を拂わなければいけませんし、また育つ時期によつて、必ずしも同じ割合いの養分でいつでもよいというようなものではないと思つております。
その育ちの時期で、ある場合にはこういうものがよけい要るが、これは割合いに少くてよい、あるいはこういう時期にはこれではいけないのだというのもあると思います。
それをほんとうにいろいろやつて行くのがわれわれの主張です。
いつで高じような割合いできまるものではない。
大体今まではそういうふうにはやつておりませんけれども、作物の種類がきまれば、その必要な養分の割合いは大体きまつているというように考えられたのですが、同じ作物でも育ちの時期で非常に違う。
またそれをかえれば健康がかわりますし、またその作物の育ちが違います。
従つて收量や品質にも影響する。常にそういうことをやつております。
いかがでしようか。御質問に応じたような答えになりましたでしようか。
▼大井上参考人
ちよつと補足的に申し上げますが、私は堆肥だけでなく、科学肥料もまた最も合理的に使用しなければならぬと思つております。
それから試験研究の問題で、局長さんからつまり科学的根拠があるかないかということできまるというお話があつた。
科学的根拠というのはなかなかむずかしい問題で、ただ局所操作の合理化だけでは、全体の栽培技術の合理化には私はならないと思う。
先ほどもちよつと申し上げましたように、技術というものは、作物の育つ間にいろいろとられます手段で、一つの目標に向つて作物が育つように向けるやり方であります。その前後の間にみな関連がある、一つ離した操作が、ただそれだけが合理的であるということは、決して栽培の技術全体の合理化にはならない。
ですから一つ一つの部分を検討して、それでただ科学的説明がなければ認めないことになると、ずいぶん問題はむずかしくなると思つております。
それから技術の問題ですが、とにかく理論的には解明されなくても、現実の上にそれが効果があるということならば、これは一応考慮しなければならない。
先ほども例にいたしましたペニシリンであります。
ペニシリンがどうして肺炎にきくかということは、今日まだ解明されておらぬ、だからペニシリンは使いませんという医者はないと思います。
ペニシリンがどうしてきくかということがはつきりわかるまでは、ペニシリンを採用しないということはない。きくことが認められたから使つているので、そういうことから考えますと、やはり一つの技術的な手段というもの――それができれば理論的にはつきりしなければなりませんが、しかしその前に真か偽かという徹底的な調査が必要だと考えております。
▼原田委員
化学肥料の問題は、私ども別に誤解をしておりません。
必ずしも厩堆肥專門に行けるわけはありません。
もちろん先生方もそうだと思います。
それは土地によつていろいろ趣を異にするのでありましようが、結局地力の涵養には一部生産コストの安いもので、化学肥料のみに依存せずしてやらなければなりません。
私どもの申し上げたのはそういう意味でありまして、必ずしも厩堆肥のみをもつて農業経営をやらなければならぬというのではございません。
これは誤解のないように釈明申し上げておきます。
第13回 衆議院-農林委員会-5号 昭和27(1952)年02月01日
昭和二十七年二月一日(金曜日)午前十時三十二分開議
▼出席委員
委員長 松浦東介君
理事 千賀康治君
▼出席政府委員
農林事務官(農業改良局長)清井正君
▼本日の会議に付した事件
農政及び農林関係予算に関する件
―――――――――――――
▼千賀委員
次は食糧増産について農業改良局長にお尋ねをいたしたいのでございます。
▼千賀委員
ただいま国策といたしまし食糧増産のためにいろいろ措置をとられております。
専管予算もそうであれば、また農林公共事業もさようであれば、農薬から病害虫予防、それぞれありますけれども、私は非常に大きなものが一つ落されておると思つております。
それは栽培技術によつて増収を得ることが、ただいま私が数えましたものよりももつと近道であり、もつと必要な措置であると思つております。
今年は去年より五百万石近くの減収であるということはすでに衆目の見るところでございますが、この減収の原因は何かといえば、栽培技術の拙劣であり、同時にまた指導を誤まつた点に基因しておると思います。
多くは硫安の過剰施与またその他の窒素肥料の過剰施与、これが大なる減収の原因のようでございます。
これは次に申しますことが非常によい参考になります。
もちろんこれはただ参考でありまして、決定したものではございませんが、一昨年の農林委員会におきまして、日本の中から五人の篤農家を当委員会に招聘して、その蘊蓄を傾けて説明をしてもらつたことがあります。
その中の一人に栄養週期という学説を立てた方があつたのでございますが、これが大分農林省の在来の指導法とは隔たりが多いので、二十六年度産米から栄養週期と農林省の指導法との比較試験をやることになりまして、全国で四つの大学でその試験をやつてもらいつつあるのでございます。
もちろんこの成績は同じ試験を重ねまして三年後にその成績を発表することになつておりますので、今年が第一年でございましても、決してこれが決定的なものではございませんが、われわれの食糧増産も今から三年後にその結果を見て、それから政府にゆるゆると指導してもらつてよろしいというようななまやさしいものではございません。
そこでこれはたいへん参考になると思うのでここで申し上げますが、その試験はどちらも三石を標準としてデータが立てられたのであります。
おれの方でやれば三石とれるのだということでございます。
政府の方から出された――これは窒素についてだけ申し上げておきますが、出されたものは、硫安に換算いたしまして、硫安が反当八貫五百、堆肥が三百貫、これが政府の改良局の方から出された案で、栄養週期の方から出されたものは、堆肥が反当二百貫に硫安が三貫五百、硫安におきましては政府のものよりも榮養週期の方が五貫目少かつた。
半分以下の少量であつたのでございます。
そしてどちらもおれの方の方法でやれば、三石以上とれるんだという期待で、比較試験が始められましたが、その結果のおもなるものは、東北の盛岡の大学におきましては、政府の方法によるものの方が二斗ぐらい増収になつたということでございます。
しかしこれは私は見ません。
それから関東におきましては、駒場の農大におきましてやられたものは、どちらも三石ほどとれておつて、さらにその結果は、政府の方法によるものはほとんど五等米であつて、栄養週期の方は三等米どころでとれておるという結果が出ております。
これを見ましても、窒素の過剰施与ということは必ずしも増産に一致せぬ一つの参考になると思います。
とともに当時問題になつておりました信州松本の赤木某君並びに鳥取の福井某君…。
▼松浦委員長
千賀君に申し上げますが、質問の要点を簡潔にお願いいたします。
▼千賀委員
今すぐ到達いたします。
その大会に出てみますと、いずれもことしは四石を標準にいたして報告されております。
さように耕作法、栽培法によりまして、大体ここらでは二石とれるの一石二斗とれるのといつて、減額補正で騒いでおる世の中で、堂々と三石とりあるいは四石とつたという報告でにぎわつておるということは、栽培法によつて増産の実が上るという一つの裏づけでございます。
こういうものを無視してただ先ほど申したようなもので、増産々々と言うことは、日暮れて道遠しの感があるのでございますが、政府はこういう事実にはつきり目をあいてもらつて、もしそれそういう人々に政府の指導法として、これを指導させることが危険であると思うならば、今日よりただちに政府の持つておる各試験場において試験を親切に始めて、もしその結果がよいというのであれば、ぜひともこれがほんとうの増収法であるというわけで、宣伝及び指導をされたいと思うのでございますが、改良局におきましては、さような点についてどうお考えになるか伺いたいと思うのであります。
▼清井政府委員
ただいまいろいろお話がございまして、栽培技術の改善についてなおもつと留意をする必要があるじやないかということでございますが、これはお話の点ごもつともな点があるのでありまして、われわれといたしましては、もちろん地方の培養その他につきましては、自給肥料の増産その他によりまして、いろいろ対策を講じますとともに、栽培技術の点についてもなお研究を進めなければならぬと思つております。
また栽培技術の点につきまして、民間その他において有効な一つの方法が示されましたならば、それを具体的に勘案いたしまして、必要なる場合におきましては、適当に農事試験場においても試験を行い、その結果を待つて必要な措置を講じたい、こういうふうに考えております。
なお栄養週期の問題につきましてお話がございましたので、ちよつと触れてみたいと思います。
御承知の通り、いわゆる大井上農法の問題につきまして、ただいま三年連続試験の第一年目の結果が出たのであります。
しかしながらこれは双方において三年連続して、結果を見た上でなければ公表しないという建前になつておりますので、今ただちにこれを詳細に申し上げることはいかがかと思いますが、ただ簡単に申しますれば、いわゆる四地方の四大学におきましてそれぞれ試験いたしました結果によつては、いずれの試験地におきましても、いわゆる大井上農法による生産額よりも、農事試験場の従来の農法による方が多いという結果が出ておるようであります。
こまかい点につきましては、申し上げることはいかがかと存じますので、省略いたしますが、さような結果が出ておるようであります。
これは一年だけの結果でわかりませんので、連続三年の結果にまたなければならぬかと思います。
▼千賀委員
今のお話では、悪いとおつしやるが、断じてそれは間違つております。
私は両方の比較試験を私の目で見つつ、最後の収穫に至るまで、東京の分は実地調査を遂げておりましてこれは双方とも同じくらいで、品質におきましては、先ほど言いましたように、政府の方は五等米、片方は三等、四等くらいのところであります。
そこで他の赤木式におきましても、福井式におきましても、非常に共通しておるところは、どちらも窒素をたくさん使いません。
どちらも窒素は少くて、ただ太陽光線をいかにして多く吸収せしめるか。
この点に苦心が集中されておるようでございます。
かような点も確かに篤農家は、新しい構想をもつて篤農の技術を上げておるので、政府は必要と思つた場合はとおつしやいますが、われわれはかような増収の事実をあげておる農法を政府の試験場で試験することこそ、何物をもつてしても否定することのできない必要なことであると思つております。
これをただちに試験をして、よければどんどん指導することが必要であると思う。
あなた方が必要であるか、必要でないかということをどうして審査なさるか知りませんが、そこには感情が加わつたり、いろいろなものが加わつたりして、来年になり、さ来年になるというようなことでは、日本は食糧の面で破産をする。
私はどうしてもこれは必要であると思うので、強くこの点を要求いたす次第であります。
第84回 衆議院-農林水産委員会-24号 昭和53(1978)年05月24日
昭和五十三年五月二十四日(水曜日) 午前十一時三十三分開議
▼出席委員
委員長代理 理事山崎平八郎君 理事 羽田孜君<以下、略>